素敵で人気あるアメ車のマッスルカーを総合的に紹介!

マッスルカー、力強い走りに独創的な見た目、まさに男のロマン

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マッスルカーは、1960年代後半から1970年始め頃までに製造された、高パフォーマンスのスポーツカーを指します。
V8エンジンを搭載し、強烈な馬力に高い排気量のアメリカ製のスポーツセダンです。

今も尚、人気が高く、カスタムを行う愛好家も多くいます。
今回は、そんなマッスルカーの歴史を見てみたいと思います。

目次

歴史

1955年にマッスルカーの元祖とも言える「クライスラー・300シリーズ」が製造されました。
当時アメリカでは300馬力を超えるエンジンを搭載した車は初めてでした。しかし車自体はかなり豪華で、値段が高いモデルでした。

1960年代初期にクライスラーが生産したダッジ・ダートがきっかけで、マッスルカーが広まり始めました。
ダッジ・ダートを皮切りに、フォードモーターやゼネラルモータースが、独自のブランドの中で、マッスルカーを製造し始めたのです。

1970年前半ころにはマッスルカーは絶頂期を迎えます。
アメリカやオーストラリアの自動車メーカーはマッスルカー市場で、エンジンの馬力の大きさを盛んに競いあうようになり、派手な広告合戦も行われていた。その結果、一部のメーカーは450馬力超という大馬力のモデルまで発表しました。

しかし、1970年後半一気に衰退してしまいます。
1970年代のアメリカでは排気ガスによる大気汚染が問題視されたことで、大気浄化法を制定し、各社排気ガスを改善する為に様々な施策を行いました。

そして、1973年にOPECがアメリカへの石油の輸出を規制することで、アメリカでは石油危機が訪れてしまいます。
石油危機の対策として1978年のモデルから自動車に平均燃費規制を掛けることになってしまいました。

ガソリンを多く使い、大量の排気ガスを出すマッスルカーは姿を消すこととなってしまったんです。

その後2000年後半にマッスルカーのディテールを受け継いだモデルが販売されるようになります。
初期の頃のマッスルカーを【オールドマッスルカー】、2000年代の物を【ニューマッスルカー】【モダンマッスルカー】と区別されています。

フォード・マスタング

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フォード・マスタングは、フォードモータースが1964年にフォード・ファルコンをベースに製造されました。
初代から一貫して2ドアの4~5人乗りのクーペで、フォードの代表するスポーツカーです。
発売当初から高い売れ行きを記録し、アメリカの自動車史に残る大ベストセラーとなり、マッスルカー市場を牽引していきます。

1969年にはモデルチェンジを行っており、車体は大型化され、1969年にハイパワーモデルのMach 1(マッハ1)や、レース用ホモロゲーションモデルであるBossシリーズが追加されました。

順調かと思えたマスタングですが、排気ガス問題やオイルショックで、排気量、燃費の大きい車の需要が無くなり、販売数の減少と共に1974年に小型化、低燃費化をした2代目マスタング2へとモデルチェンジを余儀なくされます。
1979年に3代目として販売されたマスタングは80年以降にハイパフォーマンスの需要が高まったことで1984年にハイパフォーマンスモデルSVOを追加するなどしました。

1993年以降は時代と共にモデルチェンジを行うことで2015年には7代目マスタングが販売され、世界戦略として、始めて右ハンドルのモデルを導入しました。

シボレー・カマロ

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シボレー・カマロ(詳細ページclick)はゼネラルモータースが、フォード・マスタングの好評を受け、後を追う形で1967年に初代を販売しました。ボディにはGM・Fボディ・プラットフォームを用いられ、駆動は全てFR(フロントエンジン・リアドライブ)で、エンジンは直列6気筒もしくはV型8気筒が採用されました。

カマロはマスタング同様に時代と共にモデルチェンジを繰り返し、マスタングと競っていきます。しかし、オイルショックによるマッスルカーの需要の低下、モデルチェンジ以降の市場の縮小により、93年からの4代目は2002年に販売終了となってしまいます。

その後、2009年に5代目としてカマロは復活します。エンジンにはV型6気筒3.6L、V型8気筒6.2Lが搭載され、映画『トランスフォーマー』にも採用されました。

2015年には6代目の新型のカマロにモデルチェンジを行います。車両は軽量化、小型化され、同時に初のターボエンジンも搭載され、高い出力を誇ります。そしてカマロ史上もっとも燃費のいいモデルとなりました。

シボレー・インパラ

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シボレー・インパラは、1958年にシボレーの最上級グレードの「ベルエア」に「インパラ・スポーツ・パッケージ」として設定されたのが初代のインパラになります。
翌1959年にシボレーの最上級グレードがベルエアからインパラへと変更になりました。1959年には2代目として4ドアセダン、ハードトップとラインナップされました。

3代目、4代目とインパラの販売数は絶頂期を迎えます。1965年のインパラに4ドアの「カプリス・パッケージ」が販売されるなどモデルを増やし、1958年から1966年までの間にインパラは1300万台、1965年には年間100万台が販売されました。

しかし、1971年の5代目になると排気ガス問題や、オイルショックの影響でマッスルカーの需要が少なくなり、1977年には車市場に合わせて小型化された6代目が販売され、1985年に一度販売を終了します。

1994年に7代目インパラとしてコンセプトカーで復活します。全長は77年、91年の短いフレームで設計され、コンセプトカーには生産には非実用的だった8.2Lエンジンが搭載されました。

2000年代になり、8代目となるインパラは2004年にインパラSSが29万259台の販売し、ベストセラーの大型セダン車という記録を作りました。

その後は9代目、10代目と最新のテクノロジーを駆使しニューマッスカーとして販売されています。

ダッジ・チャージャー

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ダッジ・チャージャは、1966年にクライスラーのダッジブランドより、コロネットというセダン車をベースに製造されました。
初代ではB-Bodyが採用されていて、エンジンはV8エンジン、最上級のモデルには426Hemiという高性能なレース用エンジンが搭載され、このモデルは400馬力を誇り、停止から時速約96kmまで6秒弱で到達するというとてつもない馬力のある車でした。オイルショックの影響もあり、初代は1978年に生産が終了します。

1982年に2代目として、ダッジ・オムニの上級グレードとして復活します。しかし、以前のチャージャーとの面影がなく、87年と5年で生産が終了してしまいます。

1999年に3代目としてコンセプトカーで復活し、2005年には当時のマッスルカーを思わせるようなスペックで復活します。

ダッジ・チャレンジャー

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ダッジ・チャレンジャー(詳細ページclick)は、1970年にクライスラーのダッジブランドのひとつとして製造されました。
1970年とマッスルカーブームの中では遅く販売され、当時ではすでにマッスカーの販売自体が下がってきている時期でした。

その中でも1968年『ブリット』、1971年『バニシング・ポイント』、1974年『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』と映画にも採用されていたことから販売数は好調でしたが、オイルショックの影響で1974年に販売が中止、4年という短い期間でした。

1978年に復活に2代目として復活しますが、1983年に販売が終了し、3代目は2008年にコンセプトカーとして再度復活します。

プリムス・バラクーダ

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プリムス・パラクーダは、1964年にヴァリアントの特別車として初代のバラクーダが発売されました。バラクーダはよりスポーツ性の高いデザインとなっています。
フォード・マスタングより2週間早く市場に出されたこともあって、最初のポニー・カーとも呼ばれていました。
66年にはデザインが大きく変更され、今まではヴァリアントのエンブレムを付けていましたが、新たにバラクーダエンブレムへと変更になりました。

1967年には2代目となるバラクーダを発売します。2代目にはファストバック・モデルに加えてノッチバック・モデルとオプションでコンバージョンを付けることができるようになりました。

1970年に3代目が発売され、バラクーダのハイパフォーマンス仕様車をクーダとして販売されました。

しかし、排気ガス規制により、パワーダウンを余儀なくされ、オイルショックによるマッスルカーの需要の減少により、バラクーダは1974年に製造終了となってしまいます。

シボレー・コルベット

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シボレー・コルベットは、初代のコルベットC1型は1954年に販売されました。スポーツカーと先進的イメージを押し出した独特な形の車でした。初期の頃は排気量3,859cc、最高出力150HPと高かったものの、車体の問題で最高速度102マイル/hしか達することができませんでした。

また、初期は欠陥が多く、クレームが多々あり、そのつど対応パーツを交換したり、メンテナンスを行っていました。
年々マイナーチェンジを行うことで、品質が上がり、大幅にパワーアップをすることに成功し、最後期には300馬力オーバーに達するまでになりました。

1963年にスティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされた2代目C2型コルベットが販売されました。2代目C2型はスティングレイ(アカエイ)に似ていることから開発担当者の一人であるビル・ミッチェルよりコルベットスティングレイと名付けられました。

1968年には3代目となるC3型が販売されました。他のマッスルカーと同様に年々様々なバージョンを出し、どんどん排気量と馬力を上げていきましたが、70年初期には排気ガス規制やオイルショックで排気量の減少、パワーダウンを余儀なくされます。

他のマッスルカーが販売終了を余儀なくされるなか、1983年に4代目となるC4型を販売します。4代目ではデザインが大幅に変更となります。排気ガス規制などの国内外での情勢を鑑みて、今までのアメリカンな派手なデザインではなく、ヨーロッパのなめらかなデザインへと変更していきました。

この代のコルベットは様々なモデルを発売しています。生誕40周年を迎え、それを記念するアニバーサリーモデルやC4型コルベット最強のグレードZR-1が販売され、中でもZR-1はキング・オブ・ヒルというニックネームがつくほどのハイパフォーマンスで、1989年は63台のみが生産されました。

1997年の5代目C5型ではフルモデルチェンジが行われ、より空気抵抗を減らす近代的なデザインへと変更されていきました。この代になると、今までコルベットはパワーはあるが、曲がらない止まらないと言う直線番長的な面がありましたが、C4から近代スポーツカーへ転換が行われており、走りもスムーズになり、直線だけでなくカーブもキレイに曲がることのできる車へとなっていきました。

2005年には6代目となるC6型が販売されます。6代目のコルベットは「Power, Passion, Precision(よりパワフルに、情熱的に、精緻に)」をコンセプトに掲げ、C5型の欠点を改善することでより優れた車へと変貌していきます。
限定モデルで販売されたZR-1は、イートン製スーパーチャージャー付き6.2LのLS9型となり、最高出力は647馬力を誇り、ついに600馬力を超える程のパワーとなりました。

2014年には7代目となるC7型が販売されます。7代目はデザインが大幅に変更され、C3型から採用されていたラップアラウンドのリアウィンドウがから通常のノッチバックへと変更になり、テールランプではコルベットとしては初の角型のテールランプへと変更されました。別名はC2型、C3型でも呼ばれていた「スティングレイ」と呼ばれています。

まとめ

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いかがでしたでしょうか?
アメリカで一時代を築いたマッスルカー。時代や、需要と共に浮き沈みがありますが、未だに根強い人気を持ち、オールドマッスルカーから、ニューマッスルカーまで取引が行われています。

また、オールドマッスカーでは様々なカスタムが行われており、古き良き時代が現代でも引き継がれています。

少しでも興味を抱いて頂ければと思います。

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